シングルマザーのとりとめのない日常

離婚を経て学んだこと、愛する人から学んだこと

元夫と私そしてたからもの

私たちは10年弱もの月日を共に過ごしました。

今思えば、私たちは非常によく似ていて、互いに自身のない二人でした。
幼少期に両親からの十分な愛情に恵まれなかったことが要因なのかもしれません。

私においていえば、
母親とはどういうものなのか、しつけがどのようなものであるのか、
8年目にしても悩ましい日々を過ごしています。

私たちは、感情、欲望のコントロールができない大人の仮面をかぶった子供でした。
建設的な話し合いもできず、家族みんなにとっての幸せを描くこともできませんでした。
そんな未熟な両親の姿を見せてしまったため、娘にも同様の十字架を背負わせることとなってしまいました。
元夫は、元夫のもとを去った私と娘を心から憎んでいます。
そして今でも私たちをゆがんだ形で愛してくれていると思います。


私たちは譲り合うこと、想いあうこと、意見交換を行う能力が非常に乏しく
互いの意見を主張しあい、常にどちらかが一方的に我慢をするという方法が常でした。
互いに尊重する、互いに協調する夫婦生活を築くことが叶いませんでした。


二人とも見返りを求めていました。
自分だけを愛していました。
お互いを愛していたわけではなかったと家を出てすぐ気づきました。


私がもっとも胸を痛めているのは、
この私たちのコミュニケーション能力の欠如が娘に如実に影響されていることです。
当事者である私一人の子育てでは、あまりに娘の逃げ道がありません。

娘はプレイセラピーを通して昇華できない想いを吐き出すことができます。
優しい娘がひっそりとため込んでいる闇を吐き出す時間を確保でき
プレイセラピーからアウトプットされた内容を通して
二人の生活を見直すきっかけにしています。